【羽化の作法 01】25歳引き籠もりニート。四捨五入して30歳。




こんにちは! 武盾一郎です。

今年2015年でアーティスト活動歴が20年になります。
これを機にちょっと自分を振り返ってみようと思いました。そろそろ書いておかないと忘れちゃう可能性もありますし。
また、誰かがこれを読んで励まされたら嬉しいなあ、とも思ったのです。

僕は今、美の使者(お〜)。「(自分なりの)美を描きたい!」と結構本気で思ってますが、最初はそうでもなかったのです。
もっと、どうしようもない抑えようのないドロドロとした変なエネルギーに突き動かされ、振り回されていました。
衝動に任せて行き当たりばったりに動くと何かの具体性に接続します。
そんな事象のひとつの軌跡をどうどご覧ください。

誰かの背中をちょっとでも押してあげることができたら幸いです。



『新宿西口地下道段ボールハウス絵画』





<一九九三年>

僕は二五歳だった。

大学を辞めてまでのめり込んだバンドが解散し、失恋し、やることもできることもなくなり、都内の西武新宿線沿いのアパートから埼玉の自宅に戻り、落ち込んで引き籠もっていた。
要するに「引き籠もりニート」だった。
そんな時、妹が「とりあえず絵でも描いたら?」と、高校時代に通っていた美術予備校「彩光舎美術研究所」に案内してくれたのだ。

入学の面談で、担当の講師に「受験目的ではないが絵を描きたい。自己表現したい。」と言ったのを覚えている。講師がなんと答えたかは憶えてないが、新学期から遅れること二ヶ月の六月から僕は「彩光舎」に通い始めた。

昼間部はほとんどが一浪か二浪の一九、二十歳だった。僕は三浪以上の「多浪生」の類いに入るのだが、美術予備校の多浪生はおおよそ伝説的な存在だった。特別講習の時なんかにパッと登場してとても上手な石膏とかを描く、だが受験では落ちる、みたいな。

そんな予備校に、見た目の年齢が超多浪生なのにデッサンが初めての男が中途入学し、恐ろしく下手くそなデッサンを描いてみせていたのだった。

僕は「イチコ」と呼ばれることになった。それは「タケヲ(吉崎妙子)」が付けたニックネームだ。彩光舎に入学すると、タケヲはすでに自分のことを「タケヲ」って呼ばせていた。そこに「武(タケ)」が入ってきてしまい、「タケ」がかぶっちゃうのでまずいと思ったのか、僕のことを「イチコ」と呼びはじめ、それが定着してしまったのだった。

一九九五年の四月までのおよそ二年間、彩光舎に通ってひたすらモチーフを見て描いていた。「美術予備校なんだから大学は受験しなさい」と言われて受けた東京芸術大学の鉛筆画一次試験を通ってしまったのでもう一年通ってみたのである。

二度目の受験で「まさかの合格」とはならなかったが、僕は「絵を描く作業」によって救われたのだった。

そしてふと気が付いた。絵って本来「らくがき」だよなって。


<一九九五年>

三月二〇日、オウム真理教地下鉄サリン事件。
ぼくはこの事件に大きなショックを受けた。

テレビで映し出されるオウム真理教の仕組みや活動は滑稽で、それは「日本という国家の写し鏡」だと思った。修行の姿、教祖を崇める歌と踊り、ヘッドギア、洗脳された信者たち、、醜悪でまるでマンガのように見えるオウム真理教の姿は「見事なまでに日本人の本質を可視化」していた。

これはすごい現代美術作品だ。

アーティストが作品でその仕事をするべきなのに、新興宗教が犯罪でその仕事をしてしまっている。アートの完全な敗北だと思った。なんだかとても悔かった。

「自分の藝術をやらなければ」ともやもやしていた。

四月に数回だけデッサンをして僕は彩光舎を辞めることにした。
家に籠って五〇号キャンバスに「らくがき」を描き始めた。自分を吐き出そう。パースとか形とかそういうの気にするんじゃなく、ともかく思いついたことをキャンバスにぶつけてみよう、と。

数ヶ月かけてその「らくがき」は完成した。

すごく嬉しかった。誰かに見せたいと思った。しかし、何をどうすれば人に作品を観てもらえるのか皆目見当がつかなかった。当時はネットはおろか携帯電話もそんなに普及してなかったのである。

「やっぱりストリートで描こう」そう思った。

一九九五年八月一四日。
タケヲから一本の電話がかかってきた。

「東北へのひとり旅から帰ってきたから、お茶でも飲もう」と。
二人とも上尾市内に住んでいたので、とりあえず駅前の一五〇円喫茶で会うことにした。

数ヶ月ぶりの再会で喫茶店で話しているうちに、だんだん「絵、描きたいよね」みたいな話しになってきた。
「宿駅東口からしょんべん横町に抜ける数十メートルの地下道にゲリラ的に絵を描くなんてどう?」
「うさぎの絵を新宿駅のプラットフォーム上に無数に描いて行くなんてのは?」
「道路に直接絵を描いちゃおうか?」
そんな風に話しているうちに気分も盛り上がってきちゃって
「じゃあ今から描こう!」
「新宿に行って描こう!」と、なった。新宿である理由はさほどなかったのだが、なんとなく「そういうことは新宿だろう」と思ったのだ。

一旦家に戻って画材を取ってきて上尾駅に集合、ということなった。
僕は大きいエスキース帳(650×500mm)と「20号サイズのキャンバスの木枠」を持ってきた。タケヲはラッカースプレーと豚毛の絵筆を持ってきた。

それらを抱え、二人は新宿に向かった。かさばる木枠は持ってきても何の役にも立たないのだがそのことにまるで気が付かなかった。

新宿に着くと東口からしょんべん横町に抜ける地下道に行った。
「描く」という視点からこの通りを初めて見てみる。なんか無理そうだ。歩くことは出来てもここに描くことは出来そうにない。
新宿は誰もが表現をしてる都市だと思っていたけど、いざ自分がどこかに絵を描こうとしてウロウロしても描く場所なんてないのだ。

「どうしよう、どうしよう」と西口の地下に入って行くと、段ボールハウスが目に入ってきた。
「とりあえず、ここに絵を描けるかも知れないから声をかけてみよう」と住人に話しかけてみることにした。

最初に目に入った段ボールハウスに近づく。扉となっている段ボールを「パスッ、パスッ」とノックして、「すいません」と二回ほど言った。

「なんじゃい?」

中から四十代とおぼしき肉付きのいい荒々しい感じの男の人が寝っ転がっていた体を起こしてきた。

「絵を描いている者なのですが、こちらの段ボールの家の外側の壁に絵を描いてもよろしいでしょうか?」

「なんじゃい?」

「絵を描いている者なのですが、こちらの段ボールの家の外側の壁に絵を描いてもよろしいでしょうか?」僕はもう一度同じことを言った。

「なんじゃい?」

産まれて初めて「ホームレス」と呼ばれる人との接触だった。
相手は僕が言っている意味を飲み込むのにちょっと時間がかかったようだった。
しばらくキョトンとしてたけど、意味が分かると意外なことにすんなりと「おお、いいよ」と言ってくれた。
家主は「新宿の寅さん」と呼ばれる佐々木さんだった。僕達はなんとなく「親分」と呼ぶことにした。

ササッと描きはじめようとしたんだけど、ここで面食らった。絵を描く面積がすごく大きいのだ。
家としては小さい段ボールハウスだが、絵を描くキャンバスとして見ると、今まで彩光舎で描いてきたスケール感とはまるで違う。
最初にタケヲがラッカースプレーで少し描いてみる。どうにもスプレーは良くない。

「筆で描いた方がいい。」

佐々木さんの段ボールハウスに荷物を預かって貰って、ペンキを買いに池袋の東急ハンズに向かった。
持ち金はそんなにない。どの色に絞るか結構悩んで、黒、ミルキーホワイト、ブルー、赤、キャラメルBの色を買い、再び新宿に戻った。

ふたりで段ボールハウスをじっと見つめた。

先ほど、上尾の一五〇円喫茶でタケヲとしゃべりながら小エスキース帳に下絵みたいなものを描いていたのでそれを見てみた。
当時フランス核実験のニュースが世間を騒がせていた頃だったので、ゴジラのようなラクガキをしていた。


しかし、実際に段ボールハウスを目の前にしてみると、あらかじめ用意していたイメージをこの場所に当てはめちゃいけない気がした。

何を描いたら良いのか正直分からなかった。
ドロップアウトしてしまう自分を映し出すかのように佇んでいる段ボールハウス。
僕は一生懸命「意味」を巡らせた。考えても何も出てこなかった。
しょうがないからそこに「フッ」と浮かんだものを、路面に広げた大エスキース帳に描いてタケヲに見せた。

「人面魚」だった。

なぜかタケヲは否定しなかった。
いざ。描き始める。

僕は段ボールハウスに「アタリ」を描いた。タケヲがすぐに筆を加えて行く。
見る見るうちにイメージが段ボールハウスに甦ってくる。
「つくっている」というより「よみがえってくる」感じがした。
それはまるで「確かにここに存在するまだ目に見えないもの」が姿を現すようだった。

午後四時くらいから描き始めてあっという間に夜になり、そして帰りの電車はなくなっていた。僕らは朝までかかって二軒の段ボールハウスに絵を描いた。

一軒目は、佐々木さんの段ボールハウス。もう一軒はその左隣。「描いていいよ」と佐々木さんに言ってもらったので描いた。女性が住んでいるという話しだったけど人が住んでいる気配はあまり感じられなかった。

そこに、つがいの人面魚を描きだした。
向かい合ったような構図で、オスは涙を流している。
通行人から見ると、向かい合っている魚に見つめられるのだ。




新宿西口の地下は水槽の底みたいだった。

空気はそこに溜まり、じっとしている。

電車が走っている時間帯は通行人が空気をかき混ぜて行くが、

夜中は人通りもずっと減り、対流を巻き起こすほどではなくなってしまう。

しかし、絶え間なく足音は地下に響き渡り、

時折、叫び声やガラスビンの割れる音、車の音やサイレンが、溜まった空気をシャープな色に染めていた。


朝になり、へとへとになり、足下は缶ジュースの山となっていた。
そしてそこには「絵が描かれた段ボールハウス」がしっかりと、確かに、あった。
僕たちは佐々木さんこと「親分」に一礼すると、朝の九時に新宿を後にした。

(つづく)

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/アーティスト20周年】

振り返って今思うことは、かなり自分はマヌケなんだなあ。大真面目だったりするんですけどね。

傲慢にならず、卑屈にもならず、自信をきちんと持つことの難しさってありますよね。
アーティスト収入額を確認して落ち込んだりしますが、極力他人と比較しないことですよね。どうしても無意識的に比較してしまったりもするのですが、その時とっさに感じてしまう優越も嫉妬も無意味なのでとっとと捨てること。

自分の仕事を淡々とかつ好奇心いっぱいで臨むことなんですよね。

PEACE CARD 関西展
期間:9月8日(火)〜9月21日(月)※9/14(月)は休み
場所:ちいさいおうち Gallery Little house
参加者代表「5*SEASON」さん

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13月世の物語 ガブリエルガブリエラ




日刊デジタルクリエイターズの原稿を一部修正)

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