ねこを描いて思うこと

「ネズミに恋したネコのタムちゃん」シリーズ 『内部被曝してるタムちゃんは、それでも失恋の方がとっても悲しい』


犬と猫どっち派?と問われたら迷わず猫と答えます。

「猫が好き」なのは確かだけど、「猫になりたい」と言ったほうが近い。
本当に猫好きなら飼っているはずだし。



裕福な老女に放し飼いにされている猫がいい。
死ぬ時期が大体一緒がいい。
飼い主よりあんまり先に死んじゃうと飼い主が可愛そうだし、飼い主があんまり先に死んじゃうと自分が困る。

散歩して日向ぼっこして、食べ物が欲しい時だけ甘えてみせて、気まぐれにのんびりと毎日を過ごしたい。



実際に猫の身になってみたらそんないいものじゃあないかも知れないけど。
オスだったらケンカもあるし、メスにしても猫同士のコミュニケーションがいろいろあるんだろうなあ。



ということで、
『ネズミに恋したネコのタムちゃん』はもうちょっと描いていこうかなあって思ってます。

タムちゃんは裕福な老女に放し飼いにされてる猫ではなくて、捨て猫なんです。
幼い頃は飼い猫だったから世間知らずで、野良で上手に生きられないんです。
首輪が昔、飼い猫だった証です。


ネズミさんを好きになってしまい、一生懸命努力するんだけどその恋は報われないんです。
報われないどころか、共に捨てられて頑張って生きて行こうとしてる母猫に殺されてしまいます。

不条理過ぎて、悲しすぎて、泣きながら微笑んでいます。

(物語はコチラに書いてあります)


なんでこんな猫を思いついたのか自分ではよく分からないんだけど、自分のテーマなんだと思います。


「努力は報われるわけではない」

「人生は不条理で理不尽である」

そして
「そもそも人は前提からして間違う」


悲しみの果てに何がある? 希望? 本当に?

人生なかなかうまくいかない。


Facebookから流れてくるリア充エントリーのオンパレードに胸を痛めたりもする。
そんな他者を羨み嫉妬する哀れな自分の心情にまた落胆したりする。

ホントに自分は小っぽけで、哀しい。



それでも生きようとしてる。
絶望にのたうち回る自分の意識とは無関係に、内臓は淡々と食べ物を消化し、心臓は脈打ち、血液は巡り、細胞は働き、生きようとしている。

意識できない領域に宇宙がある。
誰もが宇宙を持ち、宇宙と繋がっている。

絶望の淵からはそんな風景が見える。


というようなことを表現しようとしています。


だから「希望を持って生きよう!」とかいうものでもなくて、

ただただ、

自分に宇宙があり、
宇宙と繋がっている、
そういう事象がある。

というある種の諦観でもあるのかな。
「諦観」を力いっぱい描く、という矛盾した作業に宿るものっそいエネルギー(笑)をあなたに贈与します。

静かそうに見えて暑苦しい、クールそうに見えてうんとアツい。

心に必要なエネルギー、ぜひどうぞお受け取り下さい。


「ネズミに恋したネコのタムちゃん」シリーズ6


0 件のコメント: