東京の植民地である埼玉県民が都知事選の印象を述べてみる

都知事選についてダラダラツイートしてては時間の無駄なので、ざっくりと思ったことを並べて仕事に集中しようと思った。

だいたいなんで都知事選が気になるのか。
それはまあ東京抜きにしては生きていけない埼玉県民だからであるが。

選挙ツイートしてる自分を冷めた目で見ると、政治っぽいことを考えてる気になって気持ち良くなって、「快楽」を得たいがため、という気もしなくはない。

意味ありそうなテレビ番組を見て頭が良くなった錯覚を得て気持ちよくなるアレだ。


身も蓋もない本心を暴露すると、本当は都知事選なんてどこか「どうでもいい」のだ。
政治を真剣に考えてないと大人としてみっともないと思ってるから、考えてるフリをしてる部分も多分にあるのだ。


やらなきゃならない仕事があるのでついつい選挙戦に熱中してしまう。
〆切直前になるとやたらと風呂の掃除がしたくなるのと似たような感じで都知事選の情報に目をやってるのかも。


正直、実際問題、目の前の生活しか見えてない。上尾から半径5キロメートルが僕の宇宙だ。そこの中で汗かいたり悲しんだり喜んだりしてるのだ。
それでも政治システムが良くなって欲しいとは願っている。


「諦めながら諦めていない。諦めてないけど諦めている。」
これが正直な自分の現在の状態だ。


ということで都知事選についてだけど。

今回、最初にパッと思ったのは泡沫候補には興味が沸かなくなった。ということである。
いつもはマック赤坂氏やドクター中松氏を楽しもうと思ったりするのだが、そういう気分になれなかったのだ。

「今回の都知事選は泡沫候補はどうでもいい。」

と、そう思った矢先、最初に興味を持ったのはどう見ても泡沫候補の家入かずま氏であった。

家入氏は面白いと思った。
「政策をみんなで考えよう」という政策。
脱政策というかメタ政策というか、これが面白い。

「政治とは何か?」の大前提にアクセスしている。


まず候補者は政治をデザインして「政策はこうです!」と示す、と。
それを支持する人が「あなたの政策は素晴らしい!よろしく!」と投票する、と。
もし当選したら政策を提供してもらい喜ぶ、と。

それはそれで素晴らしい。

けど、家入氏は、
「政策を提案してください」という。

これは「そもそも政策とは人々の生活の現場から発生するものだ」という「政治とは何か」の根本問題を示している。


家入氏の立候補は本当の意味で「政治を僕らに取り戻す運動」なのだ。


ただ、家入氏はなんとなくだけど、立候補したことが「目的」、なようなところを感じる。
なんつったらいいのか、「もし仮に当選したとしたら、当選して一番困るのは家入氏本人だろう」という感じ。

起業することに力点が置かれて継続にあんまり興味がない系、というか。

だからこそ「政治の根本問題をハック」できたのかも知れない。


次。

社会がそうなって欲しいという理想に近い主張をしてるのは宇都宮けんじ氏だ。
一昔前ならまっすぐに支持しただろう。

けど今となっては、「アートと運動の共働」を夢見て、そこに全エネルギーを捧げてズタボロになってしまった自分の生理がどこか受け付けないでいる。

運動に関わって嫌な思いをすると、いくらその運動の理屈が正しいことが分かっても身体が拒絶してしまう。

「理想を掲げてる食うに困らない人たち」の、「自分たちは優秀だと思っているデリカシーのない意識の高さ」に吐き気すら催すことがある。


挫折して傷ついたその傷が疼くんだ。
だから、あんまり見ないようにしてる。


そうは言っても、上にあげた二人が自分っぽい支持者である。



小泉氏が持ち上げてる細川もりひろ氏は別の意味で惹かれる。

かつて「自民党をぶっこわす」というシンプルなスローガンを掲げ、「郵政民営化」というシンプルな政策で圧倒的な人気を獲得したトリックスターが後ろ盾となって、シンプルに「脱原発」と掲げる、という同じ手法で細川氏を壇上に押し上げている。

選挙はまつりごとではある。
票田の頼りだけで選挙が行われてきた「昔」から比べると面白いことは確かだ。
もし、細川氏が当選するならば「脱原発」という課題が勝利した、というより小泉式選挙法が勝利したと言ったほうが近い。選挙は政策を選択する権利というよりも、「ゲームだ」、ということになる。


仮に細川氏が当選したとして、仮に「脱原発」に本格的に舵を切ることになるとして、そのやり方は格差社会を決定的にした「大量の弱者をクッションとして強者を守る」方法であることは間違いない。
思い出してみればいい。


「それでも脱原発」が最大の課題かどうか。

「脱原発? 今でしょう!」


そんな気もする。
なんだか分からないけど凄い吸引力があるのも確か。


小泉氏は天才的マジシャンだ。魅力的なのだ。


細川氏本人に対しては、「静かなところで藝術やってれば良かったのに」と思うと同時に、「雄の本性に駆られた老人の最後の叫び」という感じもして、なんだかすごいなあと思ってしまう。

「70歳を過ぎで元気だったら暴走族を作りたい」と思っている自分の感性が少し反応するのだ。



田母神氏の感想もちょっとだけ。
イデオロギー的に相容れないんだけど、なぜか好きなところがある。

正直な人なんだろうなあ、とか、親しくなれたらきっとすんごいいい人なんだろうなあ、とか感じるからなのか。まあ実際親しくなることはないんだろうが。

「強いものへの憧れ」が首尾一貫して感じられ、それがどこか自分の幼い頃の気持ちと重なる。
「卑屈と努力」を感じる人なのだ。
彼が原発を推進する理由は、現実派だからではなく、原発の(核の)圧倒的な強さに魅了されてるからだろう。


ある意味、筋が通ってるし、「キャラが立ってる」感じもする。
少なくとも宇都宮氏より断然キャラ立ちしている。


舛添氏に入れるなら田母神氏に投票したほうがマシである。





もし、「候補者から誰を選ぶ?」と問われたら、
「舛添氏以外」というのが答えです。



埼玉県民の都知事選への感想でした。無責任っぽくて申し訳ない。これがわりかし正直な印象なのである。

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